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Ein funkelnder Stern namens Shuntarō / 俊太郎という瞬く星 Jürg Halter / ユルク・ハルター Das unsichtbare Geschenk. Ein poetischer Dialog / 見えない贈り物 詩的対話 Shuntarō Tanikawa / Jürg Halter 谷川俊太郎とユルク・ハルター

Halter, Jürg; Tanikawa, Shuntarō

Abstract

2024年11月13日に亡くなった日本の偉大な詩人、 谷川俊太郎。作家でアーティストのユルク・ハル ターは谷川を偲び、彼との20年以上に渡る詩作 を通じてのかけがいのない交流を回顧し以下の追 悼文を寄せてくれた。二人の詩人がとりわけパウ ル・クレーの人と作品にたいする共感によって結 ばれていたことが語られる。

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63 俊太郎という瞬く星 ユルク・ハルター いた。私はまるで、極東の老師から学ぶという栄 誉を与えられた西洋の駆け出しの引っ込み思案な 空手家のような気分だった。 その後、私はベルンに戻り、ベルン在住の日系美 術史家、奥田修が俊太郎と一緒に連詩の実験を始 めてはどうかと勧めてくれた。奥田は、日本語か らドイツ語への翻訳者としてエドゥアルド・クロ プフェンシュタインを、ドイツ語から日本語への 翻訳者として新本史斉を提案し、彼らに連絡を取 ってくれた。そして、ずいぶんと長い時間をかけ て、ときには休みを挟みながら電子メールで詩の やり取りを続けた。その結果、私たちの最初の共 同詩集『話す水』が、2012年にチューリヒのセセ ッション出版から刊行された。 地球の中心は さらなる中心のまわりをまわる 何十億もの中心は 一つの中心から生まれ出る それは詩人の頭の中 一本の竜巻の渦の中心に 彼は静かに佇んで この想像ににやりと笑う 私が連詩『話す水』の初めから三分の一くらいの ところでこう書くと、俊太郎は次のように答え た。 石畳の上で回っている独楽を跳ね飛ばして 少年は自転車で橋へと走って行った 2024年11月13日に亡くなった日本の偉大な詩人、 谷川俊太郎。作家でアーティストのユルク・ハル ターは谷川を偲び、彼との20年以上に渡る詩作 を通じてのかけがいのない交流を回顧し以下の追 悼文を寄せてくれた。二人の詩人がとりわけパウ ル・クレーの人と作品にたいする共感によって結 ばれていたことが語られる。 「二十億光年の孤独に / 僕は思わずく しゃみをした」─エドゥアルド・ クロプフェンシュタインが日本 語からドイツ語に翻訳した俊太郎の詩集『地球へ のピクニック』に収められた詩の中のこの二行を 2002年11月末に初めて読んだとき、私は遠く離れ た東京に詩の同胞を見つけたと確信した。その数 週間前、南アフリカのダーバンで、それまで知ら なかった俊太郎に直接会う幸運に恵まれたときか ら、私はすでにそのことを予感していた。ダーバ ンで開催された「ポエトリー・アフリカ」という フェスティバルに、他の多くの詩人たちとともに 私たちは招待されたのだ。オープニングの夜、当 時71歳だった俊太郎の詩の軽妙さとパフォーマン スを介して立ち現れる思慮深さに私はすぐさま魅 了された。聴衆に挨拶するため、俊太郎は着てい たTシャツにプリントされていた自作の詩を朗読し たのだ。私は22歳で、これほど遠くまで旅したこ とがなかったので、すべての新しい印象に圧倒さ れたが、最も心を動かされたのは控えめな俊太郎 にであった。 数週間後、スイスに戻った私は、直筆の献辞とと もに彼の著書『地球へのピクニック』を受け取っ た。2005年春、私がスヌープ・ドッグを探しに行 くという奇妙なドキュメンタリー映画のために東 京に俊太郎を訪れるまで、私たちは時折連絡を取 り合っていた。 俊太郎と私は彼の伝統的な日本家屋の居間の床に 座り、庭に咲き誇る桜を眺めつつ、一緒に詩を作 ってみてはどうかという話をした。緑茶もいただ 写真 中川正子 谷川俊太郎とユルク・ハルター 津田塾大学 2014年9月 © Masako Nakagawa 64 そして俊太郎は02:00の順でこう書いている。 ふらふらと空を飛ぶ夢を見ている という夢を見ながら不安になっている 俺は何重にも重なった夢を見ているのではないか 覚めても覚めても覚め切らない夢 そして、私は03:00の順でこう答えた。 二人は違う刻に 互いを思う だから空気だってビリビリッと来ない 同じ街で 同じ時間に 視線を落としすれ違うときにも 私たちの共同作『48時間の詩』は2016年にドイ ツ、ゲッティンゲンのヴァルシュタイン出版から 上梓された。 俊太郎と私は、彼が2024年11月13日に亡くなるま で友好的に連絡を取り合っていた。しかし、最後 に顔を合わせたのは2014年9月、津田塾大学の敷 地内にある古木に囲まれた不思議なガラス張りの 部屋だった。今でもその部屋の外から最後のセミ の鳴き声が聞こえる。まるで何千匹ものセミが鳴 いているようで、その鳴き声はポリフォニックな 詩のようだった。 俊太郎は、私にとって最も重要な詩の師の一人で あっただけではなかった。周囲に翻弄されるので はなく、芸術家として、常に自分の思うままに己 の道を進むべきだということを私に確認させてく れた。そうして芸術家としての自由を守り、人間 として生を営み、動き続けることができるのだ。 俊太郎のことは、全く脈絡なく滑稽な状況におい てさえ、時折、思い浮かんでくる。例えば、昨 年、花粉の多い春の夜に星を眺めていたとき、く しゃみをする間際に彼のことを思い出したのだ。 そして突然、俊太郎の詩の一節が耳に入ってきた: 何ごとを呟いても すでに意味は生まれない そのとき言葉は限りない 瞬く昼の星のように1 時空に滴ったインクのしみのような些細な情景 その一瞬も宿命に属している 2012年春、俊太郎は私たちの詩集の出版に合わ せてヨーロッパを訪れた。スイスの新聞『ノイ エ・チュルヒャー・ツァイトゥング』は私たちが 「元素の親和性」で結ばれていると評した。私た ちはスイスとドイツで朗読会を催した。小さなツ アーだったが私たちは各都市間は列車で一緒に移 動し、ほとんど話すことはなかったが、笑い、遠 慮がちにワインを飲み、旅の終わりに新しいアイ デアについて語り合った。当時81歳だった俊太郎 は、「同じことを繰り返したくない」と言った。 俊太郎に何をやりたいのか尋ねてみると、「東京 に来てください。現地で何か新しいものを作りま しょう」と答えた。 俊太郎の意外な誘いについて考えを巡らすより も前に、同じく2012年、何かが、いやむしろ誰 かが、私たちを引き合わせてくれた。それはパ ウル・クレー、いや彼の天使の絵であった。俊太 郎と会話を重ねてわかったことだが、私たちは以 前からクレーの絵に心を惹かれていた。私は幼い 頃、祖母に美術館に連れられクレーを見て以来、 ずっと好きだった。私と俊太郎はクレーの絵、な かでも線描から生まれた天使たちの軽やかなポエ ジーに魅了されていた。美術の世界では、天使は しばしば重々しく、キリスト教的な陰鬱さをとも ない、過剰なまでに意味を孕まされた存在で、と きにはキッチュで低俗でさえある。クレーの天使 たちはといえば、ステレオタイプ化されることを ぎこちなさそうに拒絶する独自の存在だ。クレー の天使の絵を介して詩的な対話をするために、俊 太郎と私はまず、クレーの膨大な作品群からそれ ぞれ二つの作品を選んだ。そして天使像に触発さ れて各々で詩を書いた。続いてそれらの詩が翻訳 され、相手の詩を読み、それに応答して詩を書い た。こうして詩的な対話を重ね八編の詩が出来上 がった。インスピレーションの元となった四点の クレーの絵の図版と八編の詩が一緒に並べられ て、2012年秋に刊行された 『パウル・クレー 天 使たち』に収録された。 私は俊太郎との約束を果たすべく、2014年東京に 降り立った。同年9月8日から12日にかけて、東京 の津田塾大学キャンパスの7号館にあるガラス張 りの部屋で2冊目の本『48時間の詩』の元になる詩 を私たちは書いのだ。 俊太郎のアイデアで、彼は 偶数時間の、私は奇数時間の詩を書いた。その場 でフランツ・ヒンターエーダー・エムデが日本語 からドイツ語に翻訳し、新本史斉がドイツ語から 日本語に翻訳してくれた。この連詩のプロジェク トは、私が奥田修を通じて知り合った東京出身で チューリッヒ在住の美術史家である柿沼万里江が オーガナイズし、現場でも多方面的にわたってサ ポートしてくれた。 1 谷川俊太郎『コカコーラ・レッ スン』思潮社、1980年、80頁(谷 川俊太郎『地球へのピクニック Picknick auf der Erdkugel』(エド ゥアルド・クロプフェンシュタイン 訳、Frankfurt: Insel Verlag, 1990) 107頁。 * ユルク・ハルターによるドイツ語 の追悼文はZwitscher-Maschine 17号 に掲載された。本和訳は奥田修によ る。 * Der deutsche Nachruf von Jürg Halter erschien in der Ausgabe Nr. 17 der Zwitscher-Maschine. Die japanische Übersetzung wurde von Osamu Okuda angefertigt. ユルク・ハルターは1980年ベルン生 まれ。作家、スポークン・ワード・ア ーティスト、ビジュアル・アーティス ト。同世代で最も有名なスイス人アー ティストの一人であり、ドイツ語圏の 新しいスポークン・ワード・ムーブメ ントの先駆者の一人でもある。ベルン 芸術大学で美術を学ぶ。ヨーロッパ各 地、アメリカ、アフリカ、ロシア、南 米、日本で定期的に公演。他のアーテ ィストとのコラボレーションも多い。 本や音楽の出版、劇場や展覧会のため の作品多数。 https://www.juerghalter.com/ (最終アクセス:2025年8月17日) 65 見えない贈り物 詩 的 対 話 DAS UNSICHTBARE GESCHENK EIN POETISCHER DIALOG ユルク・ハルターと谷川俊太郎  日独翻訳:エドゥアルド・クロプフェンシュタイン  独日翻訳:新本史斉 JÜRG HALTER UND SHUNTARŌ TANIKAWA ÜBERSETZUNG JAPANISCH-DEUTSCH: EDUARD KLOPFENSTEIN ÜBERSETZUNG DEUTSCH-JAPANISCH: FUMINARI NIIMOTO 2007年から2011年にかけて、ユルク・ハルターと谷川俊太郎は電子メールで連詩を書き、それは 2012年に『話す水 Sprechendes Wasser』(Secession Verlag, チューリヒ)というタイトルで出 版された。二人の詩人は引き続いて、詩的対話による文学的実験を続け、谷川俊太郎の詩集『ク レーの天使』(講談社、2000年、独語訳は2011年にフラウエンフェルトのWaldgut出版から『天使の岩 Fels der Engel』のタイトルで刊行)を手本にして、クレーの多種多様な天使の絵の中から選んだ四点の デッサンを共同の素材とする詩を書いた。それらはドイツ語から日本語に、あるいはドイツ語から日本 語へと翻訳され、両詩人はそれぞれの言葉で応答した。この詩的対話の結果、合計八編の詩が生まれ、 今回初めて出版された。(2012年) 奥田修 追記(2025年) ユルク・ハルターと谷川俊太郎の詩的対話『見えない贈り物』は2012年の秋、ドイツ語と英語で出版さ れた『パウル・クレー/天使たち』に収録されたが *、今回これまで未発表の日本語版を公開する運びとな った。ついてはご協力いただいたエドゥアルド・クロプフェンシュタインさんと新本史斉さんに心より 感謝いたします。 Jürg Halter und Shuntarō Tanikawa schrieben von 2007 bis 2012 gemeinsam ein Kettengedicht per E-Mail, das 2012 unter dem Titel Sprechendes Wasser (Secession Verlag, Zürich) publiziert wurde. Die beiden Dichter setzen nun das literarische Experiment mit einem poetisch-visuellen Zwiegespräch zu den Engelbildern Paul Klees fort, dessen Ausgangspunkt ein Gedichtband von Shuntarō Tanikawa aus dem Jahr 2000 (dt. Fels der Engel, Waldgut Verlag, Frauenfeld, 2011) bildete. Halter und Tanikawa wählten für ihr poetisches Zwiegespräch aus dem umfangreichen Korpus von Klees Engelbildern jeweils zwei Werke aus, zu denen sie je ein Gedicht verfassten. Diese wurden nach der Übersetzung jeweils vom anderen Autor beantwortet. So entstanden im poetischen Dialog insgesamt acht Gedichte, die hier zum ersten Mal publiziert werden. (2012) Osamu Okuda Nachtrag (2025) Der poetische Dialog zwischen Jürg Halter und Shuntarō Tanikawa, »Das unsichtbare Geschenk«, wurde im Herbst 2012 in deutscher und englischer Sprache in Paul Klee. Die Engel veröffentlicht*, und nun wird die bisher unveröffentlichte japanische Fassung veröffentlicht. Wir möchten uns ganz herzlich bei Eduard Klopfenstein und Fuminari Niimoto für ihre Unterstützung bedanken. * Jürg Halter, Shuntarō Tanikawa, »Das unsichtbare Geschenk. Ein poetischer Dialog«, in: Paul Klee. Die Engel, Hrsg. Zentrum Paul Klee, Hatje Cantz, Ostfildern 2012, S. 97–103 / Jürg Halter, Shuntarō Tanikawa, “The Invisble Gift. A Poetic Dialogue”, in: Paul Klee. The Angels, Hrsg. Zentrum Paul Klee Hatje Cantz, Ostfildern 2012, S. 97–103. 66 bald flügge 1939, 965 Bleistift auf Papier auf Karton 29,5 x 21 cm Zentrum Paul Klee, Bern © Zentrum Paul Klee, Bern, Bildarchiv 67 もうすぐ翔べる 私は大地から生まれてきたのだろうか それともあの果てしない大空から? 体はためらっている 心はとっくに空を飛んでいるのに 体は絹の下着が忘れられない バウムクーヘンが忘れられない 木のようにこの星に根を下ろせたら 宇宙で迷子になることもないのに だがほんとうは体の重みは 心の軽さと一体なのだ ふるさとはどこなのか 夜ごと体と心は夢で語り合う 乳房と翼 私は大地と大空の狭間で生きる生きもの 春に目覚めるとき 私の足はぬかるみを楽しみ 私の目は見知らぬ彼方へと注がれるだろう 俊太郎 おひさまの光はまだ届いている でもぼくはどんどん沈んでいく 1メートルごとに―そんなことありえる?― 小さく小さくなっていく いまは暗い海に沈み 感じとっている 体が小さくなるだけでなく むしろ変わってゆくのを 天涯孤独の真珠となって沈んでいく すると闇のどこかしらで なじみの貝がぱくりと口を開き まよわずそこで一休みする ぼくはもう砂粒 意識もおぼろ・・・ もはや終わりはなく あるのは変身ばかり ユルク 68 Bin ich denn aus der Erde geboren oder aus jenem unendlichen All? Der Körper zaudert unschlüssig Während das Herz schon längst durch den Himmel fliegt kann der Körper die Berührung des Seidenhemds den Geschmack des Baumkuchens nicht vergessen Könnte ich wie ein Baum Wurzeln schlagen auf diesem Stern würde ich mich nie im Weltenraum verirren Doch in Wahrheit sind die Schwere des Körpers und die Leichtigkeit des Herzens eins Heimat wo ist sie? Nacht für Nacht unterhalten sich Körper und Herz im Traum Brüste und Flügel Ich bin ein Wesen das lebt zwischen Erde und All Zur Zeit des Frühlingserwachens werden meine Füsse freudig im Schlamm waten und meine Augen sich auf unbekannte Fernen richten Shuntarō Noch erreicht mich das Licht der Sonne doch sinke ich tiefer und werde – aber, wie kann das sein? – kleiner mit jedem Meter Im dunklen Meer sinke ich nun und spüre meinen Körper wie er nicht nur kleiner vielmehr anders wird Als Perle sinke ich mutterseelenallein irgendwo in der Dunkelheit öffnet eine vertraute Muschel sich kehre ohne zu zögern ein Schon werde ich zum Sandkorn verliere mein Bewussts ... es gibt kein Ende, nur: das Verwandeltsein Jürg 69 unter grossem Schutz 1939, 1137 Kreide auf Papier auf Karton 29,5 x 20,8 cm Zentrum Paul Klee, Bern © Zentrum Paul Klee, Bern, Bildarchiv 大いなる庇護のもとに ねえ誰かここにマティアスがいたの見なかった? いなくなったんじゃないかとっても心配なんだ ちょっとここで待っててっておかあさんに言われて ついさっきまであそこのベンチに座ってたはずなんだ への字に曲げた口元からは ひざの上にひらいてた スパイダーマンの漫画まで つーっと ガムが白い糸を張っていた― もしやそいつにつかまって 色とりどりの世界にスルリと なんて考えたのかなあ あれ見てごらん あの子あんなところで 高い屋根の端っこでやってるみたいに 灰色の縁石の角っこでゆらゆらしてる― 通りの向こうで母さんがまっ青になって 呼んでいる声が聞こえないのかな? とはいうもののまったく心配は無用 マティアスは今日も大いなる庇護のもとにあるのだから ユルク マティアスは覚えている お母さんのおなかの中にいたころのこと 宇宙船の中でのようにふんわり浮かんで どの星に行くのかなあと思っていた 怖くはなかった 気持ちにまだ名前がなかったから 言葉はおなかの外にしかなかったから ただ満ち足りてマティアスは浮かんでいた 何も見えないのに 何も聞こえないのに知っていた 世界が自分を抱きしめてくれることを 時には息苦しくなるほどの強さで だがいつかマティアスも知るようになる ころぶこと ひっかかれること わめくこと 好きな子に嫌われること 迷子になること 限りなく開かれた空の下で 俊太郎 かど 70 Hat jemand hier vielleicht Matthias gesehen? Ich fürchte sehr, wir haben ihn verloren eben noch, da sass er doch auf jener Bank wo seine Mutter ihn kurz warten hiess Bis zum Spiderman-Comic das geöffnet auf seinen Knien lag zog er weisse Kaugummi-Fäden aus seinem schiefen Mund – vielleicht stellte er sich das Hinübergleiten an diesen in die bunt gezeichnete Welt vor Oh, seht nur, dort balanciert er ja wie am Rand eines Hochhausdaches auf der grauen Bordsteinkante – hört er nicht weit unten von der Strasse seine Mutter verzweifelt nach ihm rufen? Obwohl, Grund zur Sorge gibt es eigentlich keinen denn Matthias steht auch heute unter grossem Schutz Jürg Matthias erinnert sich wie er im Bauch der Mutter lag weich eingehüllt schwebend wie in einem Raumschiff er dachte bei sich: Zu welchem Stern geht die Reise? Angst hatte er nicht weil er für Gefühle noch keine Namen hatte weil es Wörter nur ausserhalb des Bauches gab er schwebte ganz einfach in sich ruhend Obwohl er nichts sah obwohl er nichts hörte wusste er dass die Welt ihn sicher im Arm hielt wenn auch manchmal mit erstickender Kraft Aber irgendwann lernt Matthias auch dieses kennen: Umfallen Zerkratztwerden Schreien Zurückweisung durch ein Kind das man gern hat sich Verirren unter einem unendlich offen stehenden Himmel Shuntarō 71 天使、いまなお女 身体にもなっていない 瞬きもしていない 沢山の人間に夢見られた ほんのつかの間の夢 でもこれではもうもたない 誰も息していないのだもの 重みにはもう十分に義理はつくした 地に縛られた心はついに舞い上がる ユルク 線は生き残る n 次元が2次元にまで引き算されても かろやかに進み ほがらかに伸びて しなやかに曲がりくねり いつかたっぷりと囲っている 誰のものでもない架空の領土を そこの原住民は言わずと知れた アマゾンのうから 翼もつほと 俊太郎 Engel, noch weiblich 1939, 1017 Kreide auf Papier auf Karton 35,5 x 25,4 cm Privatbesitz USA Bildnachweis: Zentrum Paul Klee, Bern, Archiv